愛媛大学校友会ブログ

Edit:2015/01/08

【特集】愛媛大学御幸学生宿舎-2 (回想編)

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
さて、8月に『【特集】愛媛大学御幸学生宿舎-1(現在編)』を掲載し、「次回は昔の"御幸寮"を特集します」とお知らせしたのですが、手元に古い資料がなく行き詰っていましたところ、首都圏支部役員の佐伯雅弘様から当時を偲ぶ原稿とお写真をいただきましたので「御幸寮回想編」をご紹介いたします。
佐伯様、原稿とお写真ありがとうございました。
今後もこのような原稿やお写真をお待ちしておりますので、ご協力よろしくお願いいたします。

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愛媛大学御幸寮の記憶

 愛媛大学理学部13回卒の佐伯雅弘と申します。現在、理学同窓会東京支部総務幹事・校友会首都圏支部役員をしながら、千葉県の市立船橋高校というところで数学の教員をしています。早いもので愛媛大学を卒業させていただいてから、30年ほどの月日が流れました。愛媛大学に入学当初は当時の御幸寮に滞在していた時期がありましたので、僅かな記憶ながら当時のことを思い出してみたいと思います。

 私が愛媛大学入学と同時に御幸寮に入ったのは今から30年以上前の昭和55年4月、食事代を除く寮費は当時の金額で毎月300円でした。これから一人暮らしを始める際に全くお金のない当時の自分にとって、この額は非常に魅力的でありました。と同時に、愛大合格後は果たして入寮させてもらえるかどうかの不安もありました。ですから結果的に入寮させていただきました当時の愛大関係職員の方々には、今も深くお礼申し上げるところであります。
 入学式前に僅かボストンバッグ2つのみで千葉から出発。まだ瀬戸大橋が無かった当時、13時間かけて国鉄松山駅に到着後、御幸寮に向かった当時「これからどんな生活が始まるのだろう」という不安な気持ちを抱えていたことを今でも懐かしく覚えております。
 当時の御幸寮は4人1部屋で、先輩と一緒でした。私の記憶によれば部屋の中は大きく2つの区画に分かれ、奥の区画に2段ベッドが2つ、そして入り口付近の区画に勉強部屋があったように覚えています。部屋には当然ながらテレビもありませんでしたから(確か食堂に1台だけあったような...)、私は当時僅か4インチの安い白黒テレビを買って情報収集していました。その小さなテレビ画面を先輩達が見て、夜11時になると「おい、佐伯!プロ野球ニュースを見せろ!」と言われたのを覚えています。
 各階に洗濯機とガスコンロがあるスペースがあり、空いているときに洗濯機で自由に洗濯をし、先輩達がガスコンロを用いて夜食用のラーメンを作っていたことを覚えています。なぜか記憶にあるのは、毎晩のように作っていました「チキンラーメン」です。冷蔵庫は共同、風呂は大浴場、4人部屋かつ初めて親元を離れての生活ということもあって、何となく毎日が修学旅行のような印象の寮でした。
 新入生歓迎会もあったと記憶しています。詳細は忘れましたが、先輩達の前で歌を歌わされ、先輩達が当時の成績の「優」「良」「可」で評価されていました。ちなみに私は「可」でした。確か寮祭もあったような記憶が...夜に先輩達に先導されて松山城公園まで行ったり、道後温泉駅まで行ったりの記憶があります。何だったか忘れましたが、夜に中庭部分の女子寮前まで先輩達に連れられて整列。屋上から女子がバケツで水を浴びせるといったことも記憶にあります(これらが寮祭だったかは覚えていませんが)。それらのイベントの終了後も夜中の午前2時半頃に先輩に突然起こされて、新入生は廊下に整列。自分の氏名・学部・学科・出身地等を述べさせられるなどの挨拶をさせられた記憶が残っています。今考えますと、とんでもないですね。更に先輩達が企画して、新入生の男子学生・女子学生の交流イベントもあったと記憶しています。振り返ってみますと、沢山の行事があったように思います。
 そんなこんなで月日が流れますと、寮費が安いということよりも、さすがに当時の自分もプライバシーが欲しいと思うようになってきました。「1回生のうちに寮を出て下宿生活に変えたい」と両親に連絡したところ、「甘ったれるんじゃない。もっと勉強せよ。」と、叱咤されました。ただ私の親も後で心配になったのか、親戚が西条市にいましたので、その親戚に極秘連絡して「親戚付き合いによる私との再会」として、わざわざ仕事の合間を縫って西条市から愛大御幸寮まで面会にきてくださったことは今もはっきり覚えています。後で聞かされたのですが、御幸寮まで来た本当の目的は、その親戚の方が「愛大入学後の私の寮生活を偵察する」ことにあったとのことでした。今になって考えればその親戚の方が「佐伯君の寮生活の部屋まで見せてほしい」と強く言っていたのは、その為だったのかと理解した次第です。しばらくして当時の私は何も知らないまま「やっと下宿生活に移行できる」と思ったものでした。結局私の学生生活は多くの方々に支えられていたのだと、後になって知りながらも多くの方に感謝しております。

 そんな寮生活でしたから、現在は「御幸寮」から「御幸学生宿舎」にリニューアルされたということを聞きまして、こんなことを言っては当時の関係者に失礼ですが、私が在学中に望んでいたプライバシーが保護されていて、今の学生さん達が凄く羨ましく思います。1階にはフードコーナーまであるんですね。立派です。当然ながら今の時代、きちんとした利用規則まであり、ここまでの改善にご尽力なさった方々に敬意を表したいと思います。ちなみに既に30年以上過ぎていますので申し上げますと、私が御幸寮に入った当初先輩達の中には留年された5回生・6回生もおりました。
 御幸学生宿舎の「入居のしおり」もざっと見させていただきましたが、社会人として当たり前のことがほとんどだと思います。私はしおりの最初にある「三つの自覚」「三つの実行」が素晴らしい内容だと思っています。現役の学生さん達には読むのが大変かもしれませんが、過去の教訓に基づいて丁寧に作成されていると思いますので、感謝の気持ちで読んでもらいたいです。私は愛大在学中に学問としての専門知識だけでなく、社会人としての基本や人間関係など多くのことを学びました。それらが卒業しても長く役立っています。そして後輩達にも御幸学生宿舎で多くのことを学んでもらいたいと思っております。

 以上、長々と書いてしまいましたが、今後も愛大を陰から支える施設の一つとして存在し続けてもらいたいと願っております。当時私と一緒に御幸寮に入った新入生達の現在は存じ上げませんが、どこかの第一線で活躍されていらっしゃると思います。
 ありがとうございました。

追伸 御幸寮にいた頃、よく飲み屋だったか「一魂(いっこん)」という食事場所に先輩達に連れられていったのを覚えています。御幸寮から歩いて10分程度の場所にあったような...現在もあるのでしょうか。もしありましたら凄いです。


理学部数学科13回卒 佐伯雅弘

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                                    <最前列右から4番目が佐伯様>

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