Edit:2016/12/16
愛大勤務時代の思い出 (退職職員:武智様)
このたび,元愛媛大学職員 武智 泰道様より懐かしい思い出の寄稿がありましたので
掲載させてただきます。
ありがとうございます。
(皆様も在学時・在職時の思い出などございましたら,寄稿お待ちしております。)
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私の愛大との関わりは、2回ありました。
1回目は、昭和36年2月から39年4月までの3年3か月間です。
私の年代、つまり昭和33年3月に中学校を卒業した者の高校進学率は53.7%でした。中卒就職者の多くは、先の大戦の影響を諸に被った、戦争被害者と言っても過言ではありません。
「勤労青少年」という言葉も生きていました。国立青年の家は、勤労青少年に対する集団宿泊訓練の場として、昭和34年から設けられたものです。
私の場合は、伊予鉄に勤務しながら、高校は定時制と通信制の2重学籍で,生徒会も部活動もという充実した生活でした。
所定の年齢になって公務員試験を受け、愛大に転職しましたので、私の辞書に「学歴」という言葉はありません。
ただし、愛大の宿直勤務は、夜学が休みの日曜・祝日を専門にしていました。
昭和36年10月29日(日)宿直勤務中に城北キャンパスで火災があり、木造2階建ての本部棟と社会科教棟の2棟が全焼するという大きな出来事に遭遇しました。
私は管財係でしたので、その事後処理も担当しましたが、当分の間、本部業務は記念講堂を間仕切りして執務しました。
梅津寺で行われた全学カッターレースや、その他楽しい思い出もたくさんありますが、写真が見当たらないので割愛します。
2回目は、平成7年4月から9年3月までの2年間でした。
この間にも、多くの思い出がありますが、写真の残っているものだけ紹介します。
平成8年11月、職員の皆さんの尽力により第1回教職員作品展を開催することができ、(当時の)三木学長に大変喜んで頂きました。この行事が現在まで継続されていることは、私にとっても嬉しい限りです。
みんなで山へ行ったことも懐かしい思い出です。
平成7年には石鎚山へ行きました。二の鎖下でじっと夜明けを待ち、素晴らしい御来光を仰ぐことができました。
別動隊で下山した面河コースには愛大小屋があります。1回目の勤務の頃には、土小屋へのスカイラインは開通しておらず、面河コースも愛大小屋も、先輩方に連れられて何回か利用しました。
平成18年に愛大小屋が再建されたときには、私も貧者の一灯を灯させて頂きました。小屋の近況を知りたいものです。
石鎚山行が素晴らしかったのに気を良くして、平成8年には東赤石山へ行きましたが、残念ながら雨になってしまいました。後で聞いた話ですが、遭難したと思って怖かった人もいたようです。
そんな思いをさせるようでは、リーダーとして失格ですね
<第1回 教職員作品展 開会行事 (平成8年)>
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<石鎚山ハイキング (平成7年)>
-- <計 画 書> --
(国民宿舎「石鎚」での夕食) (国民宿舎発 4:05)
(御来光)
(二の鎖下で御来光を望む) (二の鎖)
(頂上) (南尖峰 (岩が動く))
(弥山頂上 (旅行会社のツアーでは,ここを石鎚山頂としている例が多い))
(愛大石鎚小屋 (看板は「愛大山岳部」と判読できる))
(石鎚スカイラインから望む 石鎚山)
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<東赤石山ハイキング (平成8年)>
-- <計画書> --
(登山口にて)
(広い林道も歩きました) (頂上は雨)
(かなり濡れましたね)